・知覧茶のあらまし
知覧茶の起源は平家の落人が北部山間地の手蓑に茶栽培を始めた古い言い伝えがあります。
本格的な栽培は明治元年邑主島津氏の軍役地杉の美林を伐採、村人に払下げ同5年山野開墾、
茶の実をは種させたのが始まりで、以後技術者を招へい茶業組合を設立し、宇治茶の製法を伝習、
緑茶の製造所を設置し、生産拡大に努めました。
大正9年製茶機械一式の据付けを初め、以後摘採機の奨励や共同機械製茶所を設けるとともに
長崎、福岡、朝鮮に出張し販路拡大、見本市を沖縄、名瀬に開くなど毎年約10万貫程の茶を移出し
知覧茶の名声を広めました。
昭和3年御大典記念事業で向こう5カ年間に300町歩新植茶園増加計画、同5年鹿児島県立知覧茶
業分場創立茶園5町歩、採草地2町歩その他一切の設備を村負担で、8万余円を投じて試験場を誘致した。
同9年県の奨励で紅茶工場を設置、同13年天覧に供する紅茶を製造献上の栄光を得ました。
以降紅茶の生産拡大を推進していましたが、昭和40年代初め貿易自由化国際紅茶の低迷に伴い抜根、
緑茶への転換をはかると共に、知覧町は茶を基幹作目に定め、北部地域は山間冷涼で上級茶生産地帯、
中南部地域は温暖で土地基盤整備が確立し大型機械化体系による低コスト良質生産地帯として主産地
体制確立に努めています。